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「とりになりたやにわとりに」

鳳来町の山吉田(私の田舎)のお話です。
JAF7月号に、「道の駅」というものが載っています。高速道路にはパーキングエリアがあって食事やトイレ休憩ができます。「道の駅」とは一般道のこのようなところのことですね。
「道の駅」は、自然休養村などに関係があるようですがまだ調べがつかずわかりません。

JAFのこの記事の中に、「三石(さんごくと読みます)」という道の駅が出ています。この名前は昔の武士のように3石取りの鶏の話からきているようです。

この三石は浜松と鳳来町を結ぶ国道257号線の鳳来町下吉田にあります。この三石の上に「満光寺」というお寺があります。

この満光寺は、有名なにわとり伝説があります。
今から400年以上前のこと、徳川家康が武田の軍勢をのがれ逃げる途中この満光寺に一夜の宿を頼みました。
寝るときに住職に1番鶏が泣いたら起こすように頼みました。不思議なことにその夜は真夜中に1番鶏が鳴きました。
住職は約束とおりに家康一行を起こしました。家康はすぐに家来をまとめて出立しました。
そのすぐ後に満光寺は、武田の追手山県三郎兵昌景に取り囲まれました。

家康は、危ない命を満光寺の鶏に助けられたのです。
後に家康は、満光寺の鶏の恩を忘れずに寺領3石を満光寺に与えました。

年は流れて、3代将軍家光は祖父家康と鳳来寺薬師の関係を知り、鳳来寺山に東照宮を建て家康をまつりました。
この寺領として海老という所の菅沼家の領地を取り上げたので代わりに従来天領だった山吉田を菅沼家に与えました。
山吉田は、天領時代には四公六民だったものが、菅沼家になってからはだんだん年貢の率が厳しくなり、六公四民となり領民は生活が大変苦しくなりました。

この時農民が歌った民謡として、次の歌が伝えられています。

山の吉田の

満光寺様の

とりになりたや

にわとりに

この寺領三石が「道の駅」の名前になっているようです。

満光寺の庭園は、小堀遠州流といわれ有名です。

『やまよしだの昔話』(山吉田郷土史研究会編)より



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