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この建造物は貴重な 国民的財産です。 第23−0012号 <文化庁> |
右の画像(川下から)の拡大図は画像をクリックしてください。(98kb)
大正7年11月に建設された、旧「黄柳橋」(橋長51.2m、幅員3.6m)が、登録有形文化財となった。
この橋は、鉄筋コンクリート造りアーチ橋(アーチスパン30m)で、同形式の橋としては、大正時代を通じて全国一の規模を誇っていた。
僕もよく歩いて渡った、東京の「聖橋」(アーチスパン32m)が昭和2年に完成するまで日本一だったそうです。
当時の土木技術の限界であったスパン30mのアーチを使って50mを越える橋を架けるため路面とアーチ環が大きく離れることとなり、そのためアーチから路面を支える高い柱が必要となった。
(通常のアーチ橋は、アーチと路面は接している。)
支柱は、強度や耐震性を考慮して井桁状になっており、これが全国的に例のないデザイン面でも優れた特徴となっている。
この時代の技術を色濃く反映しており、国土の歴史的景観に寄与する建造物であることが認められ平成10年9月に土木構造物として愛知県下で初めて登録文化財として登録された。
この場所の橋は、明治19年頃に初めて木組のアーチ橋がつくられ、これが1代目でした。
大正7年の上記の橋が2代目で、当時愛知県の技師吉田仙之丞氏の陣頭指揮で設計施工されたそうです。
その後75年を経て、平成6年2月に竣工の、横に平行して架けられた現在の3代目が車道となっており、2代目は歩道として使われています。
橋の上の様子は、こちらでご覧ください。
右の画像(上流から)の拡大図は右の画像をクリックしてください。
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高校時代は、自転車でここを通って通学しましたが、改めてみて、深い谷にかかるこの橋と川の美しさをを見直しました。
場所は、JR飯田線、本長篠駅近くの、国道257号線の信号のあるところです。
太田幸男____ |
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